不登校日記 不登校児の親として、学校の先生にしてほしいこと。

不登校児を持つ親が関わる相手として、
学校の先生、家族、ママ友、スクールカウンセラー、習い事の先生、などがいると思う。

そんな中で、学校の先生とどう関わるかは重要な問題であるし、避けて通れない。

先生は本当に大変。
今の季節でいうと、うちの小学校はクーラーがない(というかクーラーがついてない学校の方が多い)。自分の職場がクーラーついてなかったら、キレるよね。こんなところで仕事できるかー!って。ぼーっとしてしまうし、パソコンが汗で壊れる。なのに学校はクーラーがない。先生はいつ見ても汗をだらだら流してタオルを手から離せずにいる。気の毒。

友達の、教師や保育士さんたちの話を聞くと、1人の先生の仕事の幅にびっくり。それも、ベテランの先生で、教えることそのものは何も準備しなくても全然平気って人ならともかく、新米先生は超大変だろうなぁと思う。そしてそんな中に、不登校の子や、発達障害の子、気にかけてあげないといけない子、親がうるさい子、など、いろんな「気にしないといけないこと」が多くて、本当に大変だと思う。
私自身の仕事と見比べ、例えば仕事量そのものは変わらなとしても、先生は人間力がいる職業だよな と、とても思う。

と、先生は大変だし、とてもよくしてくれている。というのを、重々理解し、毎日拝みたいくらいに感謝してるという大前提があったうえで、先生にどういうことを望むか。ということ。

前置きがさらに長くなってしまうんだけど、なんでこんなことを考え続けてるかというと、
うちの弟くんは5年生の3学期の途中から不登校気味になった。そして今6年生。5年の担任と6年の担任と2人経験してる。

たった2人だから、えらそうに言うなって感じだけど、2人の先生を見て。そして、教職の人10人近くと話して気づいたこと。

それは、先生って、不登校や、発達障害や、そういう気がかりな子たちの勉強をする機会がない。ってこと。

それは結構びっくりしたことだった。

5年で不登校気味になったとき、今よりもずっと私自身が不安定だった時、本当に担任の先生が素晴らしかった。本当に、この先生が担任じゃなかったら、私は全然違ってただろうと思うくらいに、本当に良くしてもらった。

だから、身近な教職の人に、
「先生って、不登校になりそうな感じがしたらこう対応すべきとか、勉強してるのか?(それくらい素晴らしい)」と何人かに聞いたが、誰一人、そうだ と言わなかった。

その担任の先生の、私への対応が素晴らしかったとしても、それは、その先生が個人的に勉強してるのか、その人の資質なのか、とにかく個人によるものだ ということだった。そしてそれにびっくりしたのだ。

5年の担任が良かった!と言って、別に6年の今の担任が悪いとかヒドイとか言うことじゃないし、とってもとっても熱心にしてくれる。

先生ってそもそも、どうにかしてやりたい。とか、できない子をできるように とか、そういう気質を持ってるから、とても熱心に一所懸命してくれる。だけど、それが相手の心に響くかどうか、不登校児の親にとって嬉しいかどうかはまた別問題。

先月、不登校児を3000人以上見てきた先生の話を聞いてて、やっぱり、「知ってるか、知ってないか」は本当に大きいなと思った。

不登校とはどういう状態なのか
不登校児はどういう特徴があるのか
どういう風に対応するのが良いと考えられるか
今後どのようになっていくと思われるか

など、知ってるか、知らないか。

 

で、激しく前置きが長くなったけど、色々と、考え続けてて、今の時点で、私が先生に望むことは
・寄り添い感
・プロとしてのアドバイス
の2点だ。

 

寄り添い感
私はずっと男社会で仕事をしてたこともあり、基本的に、何か相談するときは改善策を話して解決したい。共感だけされるなんて意味がないと思ってる。だからママ友との会話や女子会などでは、うっかりそういう「解決策」と提示して、空気を乱さないように、無になって共感することに集中するようにしてる。

そんな私でも、
寄り添ってほしい。

なぜなら、不登校になったとき、とにかく訳が分からないから。

なんでなのか、どうしたら良いのか、何が正解なのか、とにかくどうしたら良いか分からない状態で、他の家族からは、私が甘やかすからだと責められ、今まで1年に1回泣くか?という子が泣いてばかりいる。私は自分を責めるばかり。そんな時に先生に、寄り添ってて欲しい。

この部分が、5年の担任は本当に素晴らしかったんだと思う。

例えば、電話をくれるタイミング。
6年になってからは、毎日宿題を持っていってるから、朝先生と顔を合わせることも多いんだけど、5年の時は普通の欠席の時と同じように登校班の子に連絡帳を預けてたので、先生と顔を合わせる機会は少なかった。なので、2,3日に1度電話をくれた。

その電話がかかってくるタイミングが、とても良い。

例えば、会話の中で「水曜には行きたいと言ってます」と言ったら、行けなかった水曜に電話をくれる。なぜなら、行くと言ってた日に行けないでいると、ショックを受けてるし、悲しい辛い思いをしてるから。そして「どうですか?」と話を聞いてくれる。
それだけで、十分寄り添ってもらって、気持ちが落ち着く。

今の先生もとってもとっても熱心だし、十分満足してるんだけど、例えば、つい先日、着衣水泳があったのね。
6年生だけが参加できる、服を着たままプールで浮く経験。それってめっちゃ面白そうだから、その前の週から、行きたいって言ってたの。「行きたい」じゃなくて「行くに決まってるし」とね。もう5月から学校行ってないのに、「行くに決まってる」と。で、先生にもそれを伝えてたのね。
でも結局その日もいけなかった。5年の時の担任の先生なら、こういう時必ず電話くれてたよなーと思ってたら、電話がかかってきた。だけど、着衣水泳来れなかったね というような話は一切なく、連絡事項だった。

なんというか、先生も一生懸命だし、何度も、自分の時間を使って補習の提案もしてくれてるし、とても感謝してる。だけど、”用があるときに電話をする”というのと、”今日はちょっと声かけた方が良いなというときに電話をする”のはやっぱりちょっと違う。

そもそも、先生がフォローしないといけないのは生徒であり、お母さんの気持ちに寄り添う必要なんか全くない。だけど、不登校児は、会う人間が限られる。先生や学校にいる大勢の子たちとは会わず、特定の人間との世界になる。その大きな存在が保護者であり、その保護者の、不登校に対する精神状態や、不登校児に対する思いは、本人の精神状態に直結する。

今、私が、不登校のことを責め続けたら、間違いなく部屋にこもって泣き、部屋から一歩も出ないだろう。そうやって引きこもりを作る。

だから、先生に寄り添ってもらう。用があるから話しかけるのではなく、どう?と話しかける。それだけで、親の精神状態も落ち着き、子供にも影響すると思う。

(ちなみに今の担任は、クラスでちょくちょく弟くんの話題を上手に出してくれてるから、生徒たちがとても良い感じで受け入れてくれるんだと思ってる。それは本当に感謝してる)

 

だいぶ長文になったから、もう一つの 求めること

プロとしてのアドバイス
これは、別に、めっちゃ勉強してほしい訳じゃない。でも。ちょっと、本を何冊か読んだり、セミナーに出たりするだけで、ある程度、今の主流の考え方や、どう対応するのが良いとされるのかは分かる。

それを、ちょっと教えてほしいのだ。

例えば、5年の時の先生
不登校になり始めたころの水曜に、「今日はまだ無理ですけど、金曜は絶対行くって言ってるので、行くと思います」
と私が言うと
「そうなると本当に良いですが、絶対と思ってても、当日の朝にいけないこともあります。そうなったときに、本人が、行けない自分を責めないようにみてあげてくださいね」と言われた。

その時は全然分かってなかったから、え?こんなに「行く!」って言ってるんだから、行くに決まってるでしょ。と思ってた。
でも、先生がそう言うから、そうかもしれないと覚悟してたら、やっぱり行けない。

絶対行くと思ってて行かないのと、行かないかもしれないと思っていかないのと、ぜんっぜん違う。そうやってアドバイスをくれてたのは、本当にありがたかった。

自分でいっぱい勉強しなくても、スクールカウンセラーを紹介したり、より、プロの人を紹介してくれるだけでもありがたい。誰にも正解が分からない中、より、集合知で最新の知識を知りたい。

 

と言うわけで、大変長文になっちゃったけど、
色々考え続けて、今、私が思う、不登校児の親として先生に臨むことは
・寄り添い感
・プロとしてのアドバイス
の2点だ という話。

明日は終業式。
今日一緒に遊んでた友達が「明日は学校に来てーやー」と言ってたと。
「学校に早く来いや」じゃなくて「きてーやー」。なんかすごいウレシイ。行けたらいいね。ほんとに。

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