不登校日記 不登校の子の成績のつけ方

2018年7月2日、卒業アルバムの撮影。
先日のアルバム撮影の日は行けず。今日は、当日休みの子だけが追加で撮影する日。そのまま写真屋さんが残ってくれて、他の生徒が下校後に一人撮ってもらえることに。制服に着替えて撮影に。
撮影後ちょうど6年生の子たちが下校するタイミングで、多くの子が、弟くんを見つけて「〇〇(名前)ーー!!」と声をかけてくれる。私にはとっても嬉しい光景だけど、弟くんは、そっとしといてほしい。普通にしてて欲しいって思うみたい。複雑。

お兄ちゃんが帰ってからその話をしてたら、お兄ちゃんが、「そんなことしてくれる(良い)友達おらんぞ。お前学校行けよ!」と言いながらバシッと背中をたたいた。お兄ちゃんにとっては、愛情表現なんだけど、たまたま弟くんはその時上半身はだかだったから、バシッ!!って結構な勢いでたたいたことになって、痛かったみたい。学校も、行かない訳じゃなくて、行きたいのに行けないから、行けよって言われても傷つくだけやしね。

泣いて2階に行って、たんすと壁の間にしゃがみ込んで泣いてる。様子を見にいったり、ほっといたりしたんだけど、結局3時間くらいそうしてて、お腹がすいてたまらん と降りてきた。

お兄ちゃんには、昨日聞いた不登校の講演の話をすると、素直に「何が自信がないんやろうなぁ」と聞いてた。

2018年7月7日
この前講演を聞いた先生の小冊子が届いたのと、その先生の本が届いた。
私が不登校になった理由(わけ)

これを読んでると、小学6年生で不登校だった子は5人に4人が中学でも不登校継続 というのを見て、憂鬱になる。

2018年7月8日
いつものように宿題をもって学校へ。
先生から成績のつけ方について話。

国算理社はテストを出してるから成績を付けることができる。この成績ならAだけど、学校の中で皆と一緒にしてるわけじゃないからAをつける訳にはいかない。全部Bになる。と。

そして、図工は勾玉と絵を出したから評価できるけど、音楽体育家庭科は全くしてないから、評価できないという斜線になる。それで良いか?

と。

何回か、「それでいいですか?お母さん」と聞かれるが、
「しょうがないですよね」
としか言えない。

「それで良いですか?」

に、

「はい。」

ってなんか言えない。

良いわけないやん。

普通にしてたらAはいっぱいある。今受けてるテストでも、一人で解いてるけど、Aとれる結果だと思う。ただ、家でしてるってだけでAではない。

先生も「すごく理解力がある子だとは、前の担任からも聞いてるのでわかってるんですけどね」と。理解してたら理解してる という評価にならないのか。

なんかもう、はぁってなって、「しょうがないですよね」を繰り返すしかなく、涙が出てくる。

車に戻ったら、弟くんが、「なんで泣いてんの?」と。先生に聞いた話を一通りすると、
「それのどこに泣く要素があるねん。」と。
「ほんまやったらAいっぱいあるのになぁって思ってさ」と言うと
「小学校の成績なんかどーでもいいし」と、ホントにどうでも良いっぽい。

その強さが全部にあれば良いのに。
それは強い弱いとは違って、こだわる部分がどこかってところなんだろうか。

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