部下は最善を尽くしている
【部下は最善を尽くしている】という言葉に出会った。
それは、アチーブメント株式会社のDVD教材「プロフェッショナルセールスマネージャー」の第三章。
青木社長が力強く言うんですよ
「部下は最善を尽くしている」
もうね、ビックリ。ビックりというレベルじゃなくて、衝撃。
なんでかって、
どうしてしないの?
なんで?
最善を尽くしてよ!!
って思ってたから。
今思うと、わぁ怖いって感じなんですが、当時(といってもたった2年前)は、
分かってるのにしない
できるのにしない
と思ってたんですよね。
でも、この一言でそれが大間違いだと分かったんです。その一言がさっきの
「部下は最善を尽くしている」
です。
そうかー 最善を尽くしてるんか という前提に立てば、見えてくる景色が全然違います。
ゴールができているか出来てないか じゃない。プロセスに細かく分解して、どこで止まってるんだろう と考えるようになりました。
そもそもしたくない?
したいけど、何をしたらいいか知らない?
知ってるけど、理解できてない?
理解できてるけど、実行できない?
実行できるけど、できるレベルじゃない?
みたいな感じ。どこにつまづきがあって、その躓いてる石ころ(障壁)は一体なに?ということに意識がいき、その石ころ(障壁)を取り除くお手伝いをしよう。というスタンスに代わりました。
例えば、「そもそもしたくない」という場合って、どんな石ころ(障壁)があるのか。
考えてみてください。
仕事なんだから、したくないとかないだろーバカー とか思っちゃうことありますよねーーー。でも、部下は最善を尽くしている。という前提に立つ。そして、目の前に石ころがあるからそんな風に思ってるんだ。石ころは何だろう。 と考える。
・これをすると業務時間中に終わらなさそう。家に帰ってまでするのはイヤ。(生存の欲求充足ができない)
・するならちゃんとしたい。でも無理そうだからしたくない(生存の欲求充足ができない)
・一人でするのはヤダ。(愛・所属の欲求充足ができない)
・やり方がわかんない だからしたくない(力の欲求充足ができない)
・これをするメリットが分からない。(力の欲求充足ができない)
・他にしたいことがある、だからこれはしたくない(自由の欲求充足ができない)
・私は自分の成長を感じたい。こんな誰にでもできそうなのはイヤ(楽しみの欲求充足ができない)
みたいな感じ。
こうやって、目の前の子がいったい何につまづいているのか を考え、それを取り除くお手伝いをすると、さささーーーっとオモシロイように物事が進んだりする。
そしてその石ころ、自分ならこれだなってのと全然違ったりするんですよね。だから観察&質問。
部下は最善を尽くしている
という前提に立てば、一切の批判のない温かな人間関係の中で観察&質問ができる。
私は「部下は最善を尽くしている」というスタンスに立つようになって、何か報告があったときに、キーってなったりするのはなくなり、「ありがとう」とか「ごめんね」とか言うようになりました 笑
皆さんは、どうですか?
部下は最善を尽くしている
夫は最善を尽くしている
妻は最善を尽くしている
子供は最善を尽くしている
上司は最善を尽くしている
過去の自分は最善を尽くしていた
色んなことの見え方が変わってきませんか?
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選択理論心理学を提唱したウイリアム・グラッサー博士がおっしゃってます。
人の行いとは、良くも悪くも、効果があってもなくても、つらくても楽しくても、狂っていてもいなくても、病気でもそうでなくても、酔っていてもしらふでも、すべて内側の強力な欲求を満たす行いである
引用:テイクチャージ p25
最近犯した馬鹿な選択を振り返れば、その時はよい考えだと思って実行したのではないだろうか。人はいつも自分の行いは分別があると思い込んでいるが、そのあとすぐにもっとも愚かな行為であったと悔いることがある。つまり良くも悪くも、私たちの行動はすべて最善の選択なのだ。「それをしたときは馬鹿馬鹿しいとわかっていた」としばしば口にするけれども、どうであれ、その瞬間は何よりもよい行動に思えていたのだ。
引用:テイクチャージ p27
選択理論心理学
「テイクチャージ 選択理論で人生の舵を取る」ウイリアム・グラッサー著